大判例

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高松高等裁判所 昭和28年(う)259号 判決 1953年9月07日

控訴人 被告人 山下善美

弁護人 高橋久衛

検察官 大北正顕

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年に処する。

原審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

弁護人高橋久衛の控訴趣意は別紙に記載の通りである。

本件記録を精査し総ての証拠を検討するに、原判決挙示の証拠により

被告人は昭和二十一年暮に高知県幡多郡大内町弘見字笠木の伊藤糸野の長女美恵子と結婚したが、夫婦仲がまずくなり美恵子は常に実家の伊藤糸野方に行き、糸野にも理解が欠げていたため、遂に昭和二十四年初頃被告人は美恵子と離別し、衣料品の行商や生命保険の外交員をしていたが糸野に対しては好感を持つていなかつた。昭和二十六年十二月十八日午後十時頃、前示大内町弘見の長尾幸次郎(前示糸野の弟勇の妻であつた細江の夫)方で約一升以上も飲酒した被告人が前示伊藤糸野方に行つたところ、寝床で新聞を読んでいた同女が被告人を避けるようにして出て行つたので当時心神耗弱状態にあつた被告人は憤慨して、同家三畳間の壼を打ち倒し座布団を台所の方に投げ同家に放火し、その附近を歩き廻りながら、消火に従事している人々に対し俺が建てた家を俺が焼くのだから消すなと騒くうち泥谷数男巡査に逮捕せられたのであつて、右被告人の放火によつて右伊藤糸野の住家木造藁葺平家建一棟(建坪約十坪)を全焼した事実

を認めることができる。原判決には審理不尽も判決に影響を及ぼすべき事実誤認も認められない。

鑑定人医師下司孝磨の鑑定の結果、その他の証拠によつて本件犯行当時被告人は深く酩酊(病的なものではない)しており、判断力鈍麻、思考力低下、抑制力減弱し、一過性の軽い意識溷濁の心神耗弱状態にあつたが心神喪失の程度にまでは至つていなかつたものと認められるのである。被告人が犯行を記憶していないとしても、このことは直ちに被告人が当時心神喪失状態にあつたことを意味するものではない。

総べての証拠を以てするも、被告人が右伊藤糸野の住宅のどの部分に如何なる方法で放火したかは判明しないが、証拠によつて認められる当夜の被告人の言動その他によつて、右住家の焼失が被告人の放火に因るものであることは明らかに認められるのである。かかる場合被告人の右放火の事実を判示するに当りその手段方法を判示する術なく、これを判示しないからとて、判決に理由を附せない違法があるとは言いえないのである。

論旨はいずれも理由がない。

然し諸般の情状上原審が被告人を懲役五年に処したのは量刑過重と認められるのである。

よつて刑事訴訟法第三百八十一条第三百九十七条により原判決を破棄し同法第四百条但書の規定に従い当裁判所は更に判決する。

罪となるべき事実は前示の通りで、これを認める証拠は原判決の示すものと同一である。

(法令の適用)

刑法第百八条(有期懲役刑選択)、第三十九条第二項、第六十八条第三号、刑事訴訟法第百八十一条第一項

よつて主文の通り判決する。

(裁判長判事 坂本徹章 判事 塩田宇三郎 判事 浮田茂男)

弁護人高橋久衛の控訴趣意

第一、原判決は判決に影響を及ぼすこと明かなる重大なる事実の誤認あり廃棄す可きものと思料す。

イ、原判決は「被告人は昭和二十一年暮に高知県幡多郡大内町弘見字笠木伊藤糸野の長女美恵子と結婚したが糸野がとかく美恵子を身辺に置きたがり、美恵子もまた夫よりも母に対して仕をよくするという状態だつたので夫婦間の円満を欠き、昭和二十四年春遂に話合の上で美恵子と離別し爾来生命保険の外交員並びに衣料品の行商を営み、その間糸野が父の遺産のことから仲違を生じていたその実家長尾幸次郎方に親しく出入し遺産の相続につき幸次郎の相談相手にもなつていたところ昭和二十六年十二月十八日午後十時頃右幸次郎方で飲酒の上前記糸野方へ赴いた際、同女がその不意の訪問に驚いて逃げ出したので痛く激昂し心神耗弱の状況に立ち至るや矢庭に同女方を焼燬しようと決意し、即時同家三畳の間で火を放つて同家に燃え移らせ因て糸野が現に住居に使用する前記笠木所在の木造藁葺平家建一棟を全焼させたものである」と認定して被告人に懲役五年の刑を言渡したり。然れども被告人は伊藤糸野の家に放火す可き動機原因なし。従而被告人は放火したるものに非ず原審が被告人の放火なりと認定したるは明かに事実の誤認なりと確信す。原判決の理由を検するに原判決は放火の動機として(一)被告人が伊藤糸野の娘美恵子と結婚し後離婚となりたるより伊藤糸野に含む所ありたると、(二)伊藤糸野が遺産相続に付長尾幸次郎と仲違ひとなり被告人は長尾幸次郎と親交あり該問題に付長尾幸次郎の相談相手となりしが故伊藤糸野に反感を持ち居りたると、(三)犯行当夜飲酒の上伊藤糸野方に赴きたる処糸野が逃げて被告人を避けたるより痛く激昂したる、との三点を挙げ本件犯行の動機と推定したるが如し。尤も直接の動機は(三)の伊藤糸野が被告人を避けて逃げ出したることに帰し居れり、依て以上三点に付原判決の推定の当否を検按するに、(一)被告人が伊藤糸野の娘美恵子と昭和二十一年結婚し一子を儲け高知県幡多郡中村町にて同棲し居りたるも伊藤糸野が娘を自己の膝下に置くことを欲し美恵子亦母の意に従い日々糸野の許に行き夫及子に対する愛情極めて冷淡なるにより一生連添う妻として不適任なるより昭和二十四年協議離婚を為したるものにして被告人としては寧ろ厄介払いして寛ぎたる気分にて独身生活を送り居り離婚後一回も美恵子を訪ねたることなく又伊藤糸野と路上等に遭いたるときも平常通りの挨拶を為し何等他意なく昭和二十六年十二月頃には長尾幸次郎の媒酌にて高知県幡多郡大内町橘浦女教員大黒千代恵との婚約纒り新春を期して挙式の運びに迄進行し居り前妻伊藤美恵子のことなど念頭になかりしことは証人長尾幸次郎、伊藤糸野等証言により推知し得可し。尚此点に付長尾細江、大黒千代恵を証人として訊問を申請す。従て此点放火の動機を為すものに非ず、(二)伊藤糸野が父の遺産分配を家庭裁判所に申立長尾幸次郎との間に問題となり居りたることは被告人が保険勧誘並衣料販売の為め長尾幸次郎方に出入し承知し居りたるも該問題は昭和二十六年九月頃解決したるのみならず固より被告人に利害関係なき問題にして為めに被告人が伊藤糸野を敵視する理由もなく又反感を持つこともなかりしものなり。(三)犯行当夜被告人は泥酔し伊藤糸野方を訪れたるも被告人は伊藤糸野が在宅したることも亦同人が被告人を避けて逃げ出したることも知らず従つて伊藤糸野の後を追いて森本美佐子方へ行きたることも全然記憶して居らざるが故に被告人は激昂するにも激昂す可き事実を知らず原判決が被告人は伊藤糸野が逃げ出したるより痛く激昂し矢庭に放火の決意を為したる旨認定せるも這は単なる想像に過ぎず。殊に放火の如き重大決意が伊藤糸野が逃出したりと言う些細なる事実により矢庭に決定せらる可きものに非ず常識上首肯し難き認定なり。之を要するに原判決の挙示する動機は放火の動機として取上ぐ可きものに非ざること以上論証する処の如し。然らば何等の動機なくして被告人は放火したることとなり狂人か兇悪不逞の徒に非ざる限り通常人として到底考え得られざることなり。被告人は関西大学中退後飛行兵を志願し少尉に累進し陸軍飛行学校に於て恩賜の時計を賜わりたる優秀の人物なり決して狂人にも非ず兇悪不逞の徒にも非ず斯る人物が何等の動機原因なくして他人の家に放火するが如き暴挙を敢行する理由なし。即ち本件は被告人が放火したるものに非ずと断言して憚らざるなり。

ロ、原判決は放火の方法として「同家三疊の間で火を放つて同家に燃え移らせ」と判示し如何なる手段方法を以て放火せしや具体的の判示を欠く、抑も放火罪に於ては其手段方法が極めて重要なる要件なり。言う迄もなく出火の種類には失火あり漏電あり爆発ありて多種多様なり。故に出火にて家を燃燬したる場合夫れが放火なりと断定するには如何なる手段方法により放火したるかを具体的に認定して明示するは放火罪を断定する重要なる条件なり。単に「同家三疊の間で火を放つ」と判示したるのみにては放火罪と断定するに付重要なる条件の説示なく結局は判決に理由を附せざる違法ありとも謂うを得べし。被告人は当夜「マツチ」等発火の要具を所持せざることは被告人の供述証人長尾幸次郎等の証言により明かなり又伊藤糸野方は糸野が夕方完全に火の始末を為し全く火気なき旨伊藤糸野の供述する所なるが故被告人が放火せんとしても放火す可き方法なし全く火気なき処より火が出たと言う奇怪至極の現象なり。尤も伊藤糸野は仏壇並に棚に「マツチ」の箱二三置きありたりと、申立て宛も、被告人が其「マツチ」により放火したるかの如き暗示を与うる証言を為し居りたるが、原判決は此証言を採用せず何を用いて放火したるかを判示せざるものなり。結局原判決は放火手段方法不明の侭被告人が放火したるものと断定したるものにして此点審理不尽の判決と言わざる可らず。尚原判決は証人森本正子、長尾幸次郎、長尾細江、吉松二男、森本歳美、尾崎徳吉等の証言に被告人が放火現場に於て火事は自分が放火したる旨放言し居りたるより被告人が放火したるものなる可しと思推し、被告人の犯罪を認定したりと察するも、被告人が真に放火したるものとせば其犯罪を隠秘するが普通にして其現場に於て多数に吹聴するが如きことは常人として理解し難きことなり。或は被告人は消防に集まりたる人が口々に被告人が放火したるかの如く申したるを心外に思い反抗的に左様の言辞を弄したるに非ずやと想察す。斯くの如きことは往々泥酔者に見る狂態なり。放火の事実を認定する資料として極めて危険のものと思料す。次に原判決は「同家三疊の間で火を放つ」と放火の場所を明示せるも放火手段方法不明の現段階に於て放火の場所が判明す可き所以なし。原判決の放火の場所の認定は証拠に基かざる独断なりと謂わざる可らず。尚証人沖一、泥谷数男、岡本実証言並に被告人の司法巡査司法警察員及検察官に対する供述調書を被告人が犯行を自白したりとの資料に援用せららるるも、司法巡査岡本実に対する第一回供述録取書は犯罪直後のものにして、被告人が泥酔より未だ醒めざる時の供述、酔者の譫言に過ぎざることは其署名の書態が之を立証して余あり、斯る資料は犯罪認定の資料となす価値なし。其後の供述書は被告人当時の情況を物語るものにして此供述は被告人の偽らざる告白なるを以て是れを基礎として犯罪の有無を決定せられんことを望むや切なり。思うに本件出火は伊藤糸野が被告人の突然の訪問に自ら後ろ暗きことあるより周章狼狽して家を出るに当り囲炉裏等に燃え易きもの落し為めに出火し大事に至りたるに非ずやとも想像せらる。或は電燈線が木造藁葺の極めて粗雑なる家なるが故に、被覆剥離し漏電発火せしものに非ざるなきやも保し難し。要するに判決が放火の手段方法を具体的に明示し得ざるは此等幾多の疑問を多分包蔵するものにして結局審理不尽及理由不備の判決と謂うを得べし。

第二、原判決は被告人の心神喪失を心神耗弱と認めたる事実の誤認あり。被告人は昭和二十六年十二月十八日は商用にて長尾幸次郎方を外出昼食夕食共に摂らず午後七時より長尾方に於て長尾幸次郎夫妻及上岡貞利、山本徳太、岡田金寿等と同家で九時過頃迄飲酒したるが酒は長尾方に於て密造せるアルコール分二十七度位の白酒にて被告人は約一升飲み非常に酩酊して其処に倒れ或は囲爐裏端にて嘔吐したることもあり、其間十分位外出したることあることは証人岡田金寿、長尾幸次郎、上岡貞利、山本徳太の証言により明かなり。被告人は当初岡田金寿の持参せる清酒一升を岡田等と会飲し被告人は内二、三合を飲みたる旨供述したるも、右は長尾方の酒密造を庇はんとて虚偽の陳述を為したるものにして、真実のことは前示の如く長尾方密造酒約一升を飲酒したるものなり。而も被告人は平素の酒量は三、四合にして其程度を過ぐると前後不覚となり、時に常軌を逸する行動あるにより、一年有半禁酒し居りたるも、当夜は忘年会でもあり且結婚の話もありたるより心を許して飲みたる為め、極度に酩酊し伊藤糸野方を訪問したることも同人に会いたるも全然記憶せざる程に泥酔し居りたることは、被告人の別紙上申書に詳記する処の如し。而も放火の現場に於て消防の為め集りたる人々に対し「自分の建てた家を俺が焼くのだから構はん」とか其他宛も自身放火したるが如きことを吹聴したる事等より考察すれば、全く常人の沙汰に非ず、狂人か然らざれば泥酔の為め心神喪失者の行為と判断せざる可らず。単に心神耗弱の程度に非ざること明かなり。鑑定書に拠れば「以前に殺すとか放火するとか言つておるから犯意が全然無かつたとは言えない、しかしこの様な事は誰でも経験する気持であり理性によつて抑へる事ができる程度の事である。既に離婚して三年近く新しい結婚話の持上がつている時に今更犯行に加りたるべき理由は見出されない。たまたま泥酔し軽い意識溷濁の下に抑制力が取れてこの僅かな犯意が爆発したものである。山下は飲酒すると前後不覚となり信用を失墜する事が屡々であつたので自ら禁酒していた事がある。従つて大量の酒を飲めば何かしくじる様な事をしでかすことは知つていた。知つていて飲酒したのであるから飲酒後に起つた事件にはある程度責任を負はねばならない。アメリカでは単なる飲酒上の犯罪は普通より却つて罪がきびしいと言はれる。事件当日は長尾幸次郎の饗応で忘年会を兼ねて飲酒しており犯行の為めの計画的な飲酒ではない。山下の酔つた状態は大量の酒を飲む者に起る普通の反応であつて病的ではない、大量の酒を飲んだ行為が異常と言えば言える。最後に病的酩酊は極めて少いものであることを指摘したい。愛酒家で二、三合飲むとそれから先はいくらでも飲みだし前後不覚となり、翌日記憶脱失を示す人は決して稀でない事も申添えておく。「四、鑑定 昭和二十六年十二月十八日事件当時の山下善美の精神状態は白酒約一升飲んで深く酩酊していたが病的酩酊ではない、判断力鈍麻、思考力低下、抑制力減弱し一過性の軽い意識溷濁はあつたが糸野を徹底的にやつつけると称して一貫した行動を取り暴行し暴言を吐いた翌日記憶脱失が見られるが深い酩酊の証拠であるという以外、特別な意味はない。山下は犯意を嘗て口外した事があり、事件当時には酩酊によつて抑制力が除かれ犯意が意識に浮び上り行動に移されたものである。山下は平生から大酒をすると信用を失墜する様な行動をとることを知つていて禁酒しておつたが、事件当日は長尾幸次郎の勤めで忘年会を兼ねて飲酒したものである。右のとおり鑑定いたします」とあり被告人が深き酩酊に陥入り居りたることは認めらるるも大量の酒を飲めば何事か失敗することを知り乍ら飲酒したる者は飲酒後に起りたる事件に或程度の責任を負はざる可らず、アメリカに於ては単なる飲酒上の犯罪は普通より却つて厳しく罰せらると聞く、被告人山下は飲酒により前後不覚となり信用を失墜すること屡々あり自ら禁止したる事あるものなるが故に禁を破りて飲酒したる以上飲酒後に起りたる事件に付責任を負ふは当然なりとの道義的思想を根底として鑑定が構成せられたるが如く、理解せらる。如何にも被告人が飲酒したることにより本件放火を為したりとせば飲酒したることは道義的に指彈せらるる行動なりと雖も、夫れと被告人が犯罪時に知覚精神を喪失し居りたるや否やは自ら別箇の問題なり。然るに道義的思想を前提として為されたる本件鑑定は結論に於て歪曲せられたる感深きが故、再鑑定の申請を為したる所以なり。原審は弁護人の右申請を却下したるも、此点は犯罪成否に重大なる関係ある問題なるが故是非共再鑑定に附せられ度敢て再び申請する次第なり。

第三、被告人の心境 被告人が伊藤美恵子と結婚し後離婚したる事情、司法警察員及検察官の供述書作成の情況、被告人現在の境遇並に其心境は別添被告人の上申書に詳述しあるが故に併せて御閲覧を乞う。叙上諸般の事情を綜合せば原判決には重大なる事実の誤認あり、依て原判決を破棄し無罪の判決あらんことを堯望す。

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